蓮は、泥の中に根を張りながら、水面に向かって茎を伸ばし、清らかな花を咲かせます。
汚れた泥水に染まることなく、純白やピンクの花びらを開く姿は、古来より「清浄」と「神聖」の象徴とされてきました。
ヒンドゥー教では、この蓮の花に、ある女神の姿が重なります。
ラクシュミー — 富と美と豊穣を司る女神。
彼女は、蓮の花とともに現れ、蓮の上に座し、蓮を手に持つ姿で描かれます。
なぜ、ラクシュミーは蓮とこれほど深く結びついているのでしょうか。
その物語をたどると、女神の本質と、蓮という植物が象徴するものが、静かに重なり合っていきます。
ラクシュミーとは:富と繁栄の女神

プロフィール
サンスクリット名: लक्ष्मी (Lakṣmī)
別名:
- パドマー(पद्मा / Padmā)——蓮
- カマラー(कमला / Kamalā)——蓮
- シュリー(श्री / Śrī)——吉祥、輝き
- ヴィシュヌ・プリヤー——ヴィシュヌの最愛の人
夫: ヴィシュヌ神(維持の神)
住居: ヴァイクンタ(ヴィシュヌの天界)
乗り物: フクロウ(ウルーカ)
司るもの: 富、繁栄、幸運、美、豊穣、吉祥
ラクシュミー(Lakshmi / लक्ष्मी)は、ヒンドゥー教における最も重要な女神のひとりです。
サンスクリット語で「幸運」「富」「美」を意味する彼女の名は、物質的な豊かさだけでなく、精神的な充足や繁栄をも象徴しています。
ラクシュミーの姿

Public Domain, Wikimedia Commons
黄金色や淡いピンクに輝く肌を持つラクシュミーは、満月のような慈愛に満ちた微笑みと蓮の花びらを思わせる瞳をたたえ、真珠の輝きと瑞々しい蓮の花輪に彩られています。
ラクシュミーは、伝統的に以下のような姿で描かれます。
- 蓮の花の上に座る女神
満開の蓮華座(パドマーサナ)に腰を下ろし、優雅な姿勢で立つ、あるいは座る姿。 - 四本の腕
四本の手には、蓮の花、金貨、祝福の印(アビャヤ・ムドラー)、そして豊穣を象徴する水瓶や果実を持ちます。 - 金色の装飾
金色や赤、ピンクのサリーをまとい、宝石で飾られた姿は、豊かさと美の化身そのものです。 - 象が水を注ぐ図像
ガジャ・ラクシュミーと呼ばれる図像では、二頭の象がラクシュミーに聖水を注ぐ様子が描かれます。これは、彼女が富と繁栄をもたらす存在であることを示しています。
ラクシュミーの役割
ラクシュミーは、宇宙の維持神ヴィシュヌの妃とされ、彼とともに世界の秩序と繁栄を守ります。
彼女は以下のような祝福を授けるとされています
- 物質的な豊かさ — 富、財産、収穫
- 精神的な豊かさ — 幸福、知恵、調和
- 美と優雅さ — 美しさ、品位、愛
- 家庭の繁栄 — 家族の幸せ、家の平和
ラクシュミーは、決して一方的に富を与える存在ではありません。清らかな心、誠実さ、勤勉さを持つ者のもとに訪れ、その家に繁栄をもたらすとされています。
ラクシュミーの象徴
4つの手の意味: 人生の4つの目標(プルシャルタ)を表しています。
- ダルマ(正義、義務)
- アルタ(富、繁栄)
- カーマ(欲望、愛)
- モクシャ(解脱、自由)
乳海攪拌の神話 — 蓮とともに現れた女神

ラクシュミーの誕生には、壮大な神話が語られています。
それが、乳海攪拌(サムドラ・マンタン)の物語です。
神々と阿修羅が海をかき混ぜる
遠い昔、神々(デーヴァ)と阿修羅(アスラ)は、不老不死の霊薬「アムリタ」を手に入れるため、協力して大海をかき混ぜることにしました。
彼らは、巨大な山を攪拌棒とし、大蛇ヴァースキを縄として巻きつけ、神々と阿修羅がそれぞれ引っ張り合いながら、海を攪拌し始めました。
海がかき混ぜられると、次々と宝物が現れます。
月、太陽、宝石、神馬、毒、霊薬 — そして、その中から、蓮の花に乗った美しい女神が姿を現しました。
それが、ラクシュミーです。
蓮とともに生まれた女神

ラクシュミーは、海の泡から生まれ、満開の蓮の花の上に立ちました。
その姿は、あまりにも美しく、あまりにも神聖で、神々も阿修羅も、彼女に見惚れたと言われています。
彼女は、自らヴィシュヌを夫として選び、以来、彼とともに世界に繁栄をもたらす存在となりました。
この神話において重要なのは、ラクシュミーが「混沌の海」から生まれたという点です。
攪拌される海は、混乱、闘争、未知の深淵を象徴しています。
しかし、その混沌の中から、最も美しく、最も清らかなものが生まれる。
それが、ラクシュミーであり、蓮の花でした。
蓮(パドマ):ラクシュミーの化身

ラクシュミーが蓮とこれほど深く結びついているのは、偶然ではありません。
蓮という植物そのものが、彼女の本質を映し出しているからです。
蓮の植物的特性
学名: Nelumbo nucifera
科名: ハス科
原産地: インド、東南アジア、オーストラリア北部
インドでの呼び名
- パドマ(पद्म / Padma)
- カマラ(कमल / Kamala)
- パンカジャ(泥から生まれるもの)
- サロージャ(湖に生えるもの)
蓮は、インド原産の多年生水生植物です。
- 生育環境: 池や沼、湿地など、泥の深い水辺を好みます。
- 開花期: 夏(7月〜9月頃)に、白やピンクの大きな花を咲かせます。
- 特徴: 泥の中に根を張り、水面に向かって茎を伸ばし、葉と花を水上に展開します。葉は「ロータス効果」と呼ばれる撥水性を持ち、水を弾きます。
蓮の最も特徴的な性質は、泥水に染まらない清浄さです。
どれほど汚れた泥の中に根を張っても、花は清らかに咲き、葉は水を弾き、汚れを寄せつけません。
なぜラクシュミーは蓮なのか

この蓮の性質が、ラクシュミーが体現する「豊かさ」と重なります。
- 泥の中から生まれる美 — 混沌や困難の中から、清らかな繁栄が生まれる
- 汚れに染まらない清浄さ — 真の豊かさは、世俗の欲望や執着に染まらない
- 水面に開く花 — 精神的な高みに向かって、美しさを開花させる
ラクシュミーは、ただ富を象徴するだけではありません。
彼女は、清らかな心を持つ者にのみ訪れる繁栄を象徴しています。
蓮が泥の中から清浄な花を咲かせるように、ラクシュミーもまた、混沌や困難の中から、真の豊かさを生み出す存在なのです。
だからこそ、彼女は蓮の上に座し、蓮を手に持ち、蓮とともに現れます。
蓮は、ラクシュミーの化身であり、ラクシュミーは、蓮の本質そのものです。
ディワーリー — 光の帰還
ラクシュミーを祝う最も重要な祭りが、ディワーリー(ディーパーヴァリー)です。
ディワーリーは、「光の祭り」とも呼ばれ、ヒンドゥー教における最大の祝祭のひとつです。
この祭りの中心は、ラクシュミー・プージャ(ラクシュミーの礼拝)です。
時期: 10月〜11月(ヒンドゥー暦カールティック月の新月の夜)
ディワーリーの物語
ディワーリーには、いくつかの神話が結びついていますが、最も有名なのは次の物語です。
ヴィシュヌの化身である英雄ラーマは、14年間の流浪の末、悪魔ラーヴァナを倒し、妻シーターとともに故郷アヨーディヤーに帰還しました。
人々は、帰還する王を歓迎するため、無数の灯火(ディーヤ)を灯し、街を光で満たしました。
この「光の帰還」の祝祭が、ディワーリーの起源とされています。
ラクシュミーの帰還
ディワーリーの夜、人々は家をきれいに掃除し、ランゴーリー(色粉で描く模様)を玄関に描き、蓮の花やマリーゴールドで飾り、無数の灯火を灯します。
なぜなら、この夜、ラクシュミーが家々を訪れ、清らかな家に繁栄をもたらすと信じられているからです。
灯火は、闇を払い、女神を迎え入れるための光です。
蓮の花は、彼女の座であり、彼女を象徴する聖なる花です。
ディワーリーは、光が闇に勝利する祭りであると同時に、清らかさと誠実さが繁栄を呼び込むことを思い起こさせる祭りでもあります。
ラクシュミーに捧げる蓮

蓮の選び方
ラクシュミーを招くための蓮を選ぶ際、その色彩は祈りの質を決定づける大切な要素です。
最も愛されるのはピンクの蓮ですが、心の純粋さを表す白、情熱的な献身を誓う赤、そして黄金の富を願う黄色など、その時々の願いに合わせて色を選びます。
供養に用いるのは、汚れのない新鮮な花であることが必須です。特に、祈りとともにゆっくりと花開こうとする開きかけのつぼみは、これから開花する無限の可能性と生命力を象徴し、最も尊い供物とされます。
時には、その瑞々しい大きな葉を敷き皿として用いることで、祭壇に生命の源である「水」のエネルギーを呼び込むことができます。
数
- 1輪でも、108輪でも、心を込めて捧げれば良い
- 8という数字はラクシュミーに関連(8つのラクシュミー)
- 金曜日に108輪の蓮を捧げる習慣もある
供養の方法
ラクシュミー女神への供養において、最も大切なのは彼女の象徴である蓮の花を捧げることです。
清らかな水で清めた新鮮な蓮を、彼女の足元、あるいはその手の中にそっと置きます。
富の女神である彼女の前には、金貨や磨かれたコインを並べ、彼女の聖なる響きである「オーム・シュリーム・マハーラクシュミャイ・ナマハ」というマントラを唱えましょう。
特に金曜日は彼女の力が強まる日とされ、信者たちは身を清めて断食を行い、黄金色の光を放つ女神へと心からの祈りを捧げます。
ラクシュミーと植物たち — 聖なる花々

ラクシュミーは、蓮以外にも、さまざまな植物と結びついています。
これらの花々は、彼女の礼拝の際に捧げられ、それぞれがラクシュミーの異なる側面を象徴しています。
マリーゴールド
黄金色やオレンジ色のマリーゴールドは、繁栄と富を象徴します。
特に、商売繁盛を祈る際、ガネーシャとともにラクシュミーを礼拝する時に好んで使われます。
ディワーリーの際にも、花輪や装飾として用いられる代表的な花です。
ハイビスカス
赤いハイビスカスは、ラクシュミーの情熱的で力強い側面を表します。
富を引き寄せるエネルギー、豊穣への願いを象徴する花として、プージャ(礼拝)に捧げられます。
ジャスミン
白いジャスミンは、純粋さと美しさを象徴します。
その甘く深い香りは、ラクシュミーを喜ばせると言われており、夜の礼拝の際によく用いられます。
バラ(特にピンクと赤)
ピンクのバラは、ラクシュミーの優しさと愛を表し、赤いバラは、繁栄への情熱を象徴します。
黄色とオレンジの花全般
黄色は金、オレンジは豊穣を連想させるため、これらの色の花(金盞花、キンセンカ、黄色い菊など)が好まれます。
香りの良い花
ラクシュミーは、美と香りを愛する女神です。
香りの良い花であれば、種類を問わず喜ばれるとされています。
豊かさは泥の中から
ラクシュミーと蓮の物語は、ひとつの問いを投げかけます。
真の豊かさとは、何か。
ラクシュミーは、富の女神でありながら、決して欲深い者や不誠実な者のもとには訪れません。
彼女は、清らかな心、勤勉さ、感謝の心を持つ者のもとに現れます。
それは、蓮が泥の中から清浄な花を咲かせるように、真の豊かさは、混沌や困難の中から生まれることを示しています。
泥がなければ、蓮は咲きません。
混沌がなければ、ラクシュミーは生まれませんでした。
逆境や困難を否定するのではなく、その中に根を張り、清らかさを保ちながら、美しく花開く。
それが、ラクシュミーが、蓮という植物を通して、私たちに伝えているメッセージなのかもしれません。
蓮の花に座す女神の姿は、遠い神話の物語でありながら、今もなお、私たちの心に静かに語りかけています。
オーム・シュリーム・マハーラクシュミャイ・ナマハ
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