青い肌、黄色い衣装、四本の腕にそれぞれ法螺貝・円盤・棍棒・蓮の花を持ち、巨大な蛇の上に横たわる——ヴィシュヌ(Vishnu)は、宇宙の維持と秩序を司る最高神の一柱として、ヒンドゥー教の中心的存在です。
ヴィシュヌに捧げられる花の中で、最も神聖とされるのがジャスミン。特にジャーティー(Jāti)の花は、古代の聖典スカンダ・プラーナで「すべての花の中で最高位」と讃えられています。
なぜ宇宙の維持神には、白く清らかなジャスミンが捧げられるのでしょうか。その背景には、秩序と調和、純粋さと完璧さ、そして永遠なる愛があります。
ヴィシュヌとは:宇宙を維持する至高神

プロフィール
サンスクリット名: विष्णु (Viṣṇu)
別名
- ナーラーヤナ(水の上に横たわる者)
- ハリ(緑色の、すべてを奪う者)
- ヴァースデーヴァ(すべてに内在する者)
- パドマナーバ(蓮のへそを持つ者)
妃: ラクシュミー(富と繁栄の女神)
乗り物: ガルダ(神鳥)
住居: ヴァイクンタ(天界)
司るもの: 維持、秩序、保護、法(ダルマ)
ヴィシュヌの容姿
- 肌の色:深い青色または青黒色(無限の空と海を象徴)
- 衣装:黄色い絹の衣(ピータンバラ)
- 胸:シュリーヴァトサの渦巻き模様(ラクシュミーが住む場所)
- 首飾り:ヴァナマーラー(森の花輪)——五色の花々
- 四本の腕:
- 法螺貝(シャンカ)——パーンチャジャンニャ:宇宙の音、創造の始まり
- 円盤(チャクラ)——スダルシャナ:正義の武器、時間の車輪
- 棍棒(ガダー)——カウモーダキー:知識と力
- 蓮の花(パドマ)——パドマ:純粋さ、解脱、創造
トリムールティ:三大神の一柱
ヒンドゥー教の三大神(トリムールティ)
- ブラフマー:創造
- ヴィシュヌ:維持
- シヴァ:破壊
ヴィシュヌは宇宙の秩序と調和を保つ役割を担っています。悪が栄えダルマ(正義)が衰えた時、ヴィシュヌは地上に化身して秩序を回復します。
ヴィシュヌの十大化身(ダシャ・アヴァターラ)
ヴィシュヌは時代ごとに異なる姿で地上に降臨します。主な十の化身
1. マツヤ(魚)
大洪水から聖典ヴェーダと生命を救いました。
2. クールマ(亀)
乳海攪拌の際、海底でマンダラ山を支えました。
3. ヴァラーハ(猪)
大地を海底から救い上げました。
4. ナラシンハ(人獅子)
半人半獅子の姿で、無敵の悪魔を倒しました。
5. ヴァーマナ(矮人)
三歩で宇宙を測り、傲慢な王を諭しました。
6. パラシュラーマ(斧を持つラーマ)
傲慢な王族たちを討ちました。
7. ラーマ(理想の王)
『ラーマーヤナ』の主人公。理想的な王、夫、息子として、ダルマを体現しました。
8. クリシュナ(愛と智慧の神)
『マハーバーラタ』と『バガヴァッド・ギーター』の中心人物。愛と智慧を説きました。
9. ブッダ(覚者)
慈悲と非暴力を説きました。
10. カルキ(未来の化身)
白馬に乗り、剣を持つ姿。世界の終わりに現れ、新しい時代を始めると予言されています。
化身とラクシュミー
ヴィシュヌが化身する時、妃ラクシュミーも必ず共に化身します。
- ヴィシュヌがラーマの時、ラクシュミーはシーター
- ヴィシュヌがクリシュナの時、ラクシュミーはルクミニー
この永遠の伴侶関係は、宇宙の調和における男性原理と女性原理の統合を表しています。
ジャスミン:すべての花の中の至高の花

スカンダ・プラーナの記述
古代の聖典スカンダ・プラーナには、ヴィシュヌがジャスミンについて語る一節があります。
「ジャーティーの花(ジャスミン)は他のすべての花より優れている。千のジャーティーの花で作った見事な花輪を私に捧げる者は、何十億ものカルパ(時代)の間、私の天国の都に住む」
この言葉により、ジャスミンはヴィシュヌへの供花として最高位に位置づけられました。
なぜジャスミンが最高位なのか
純白の清らかさ: ジャスミンの純白は、ヴィシュヌが維持する宇宙の秩序の清らかさを象徴しています。
完璧な形: ジャスミンの星形の花は、対称的で完璧です。宇宙の秩序と調和を表しています。
香りの気高さ: ジャスミンの香りは、甘く清らかで、雑味がありません。この純粋な香りは、ヴィシュヌの完璧さを表しています。
夜に香る神秘: 多くのジャスミンは夜に最も強く香ります。ヴィシュヌは宇宙の夜(プラーラヤ)の間も眠らず、宇宙を守り続けます。
千の花: スカンダ・プラーナで「千の花」と言及されるのは、ヴィシュヌの千の名前(サハスラナーマ)と呼応しています。
永遠の香り: ジャスミンの香りは長く残ります。これは、ヴィシュヌの保護と祝福が永続することを象徴しています。
ジャスミンの種類とヴィシュヌ
| Jasminum sambac | マツリカ(茉莉花)、マッリカー(サンスクリット)、モグラー(ヒンディー語) | 濃厚な甘い香りが特徴で、寺院や家庭でのヴィシュヌ神、および他の多くの神々への供花としてインド全土で最も広く愛用されます。 |
| Jasminum grandiflorum | ジャーティー(サンスクリット)、チャメリー(ヒンディー語)、スパニッシュジャスミン | 大輪で香り高く、古代の聖典『スカンダ・プラーナ』で「すべての花の中で最高位」と讃えられた「ジャーティー」はこの種、またはJ. officinaleを指すと考えられています。 |
| Jasminum auriculatum | ユートヒカー(サンスクリット)、ジューイー(ヒンディー語) | 南インドで特に人気の小輪種。非常に強い香りを持ち、その香りの純粋さから供花や香油として珍重されます。 |
ヴィシュヌの象徴とジャスミン
蓮とジャスミン
ヴィシュヌは蓮の花を手に持ち、へそから蓮が生えています(そこからブラフマーが誕生)。
蓮とジャスミンの関係
- どちらも水に関連(蓮は水生、ジャスミンは香りが水のように広がる)
- どちらも純白の品種がある
- どちらも完璧な形
- どちらもヴィシュヌに愛される
蓮が日中の花なら、ジャスミンは夜の花——ヴィシュヌは昼夜を問わず宇宙を維持します。
トゥルシーとジャスミン
トゥルシー(聖なるバジル)もヴィシュヌに捧げられる最も神聖な植物です。
トゥルシーとジャスミンの違い
- トゥルシー:葉を捧げる、毎日の礼拝、家庭の庭に植える
- ジャスミン:花を捧げる、特別な礼拝、香りを重視
どちらもヴィシュヌには欠かせませんが、ジャスミンは「花の王」として、より格式高い供物とされています。
ヴァイクンタ・エーカーダシー:ジャスミンの夜
エーカーダシーとは
エーカーダシーは、月の満ち欠けの11日目にあたる日で、ヴィシュヌに捧げられた断食の日です。月に2回(満月から11日目、新月から11日目)訪れます。
ヴァイクンタ・エーカーダシー: 一年で最も重要なエーカーダシーで、ヴィシュヌの天界ヴァイクンタへの門が開く日とされています。
時期: 12月〜1月(ヒンドゥー暦マールガシールシャ月またはプシュヤ月)
祭りとジャスミン
この夜、ヴィシュヌ寺院はジャスミンの花で埋め尽くされます。
習慣
- 前日から断食を始める
- 夜通しヴィシュヌの名を唱える
- 千のジャスミンの花輪を捧げる
- ヴィシュヌ・サハスラナーマ(千の名前)を唱える
- 翌朝、ジャスミンの香りに包まれて断食を解く
象徴: ジャスミンの香りが充満する寺院は、ヴァイクンタ(天界)そのものを表しています。
ヴィシュヌの寝姿:シェーシャナーガの上で
アナンタ・シャヤナ(無限の横たわり)
ヴィシュヌの最も有名な姿の一つが、巨大な蛇シェーシャナーガ(アナンタ)の上に横たわる姿です。
シェーシャナーガ(アナンタ)
- 「アナンタ」は「無限」を意味する
- 千の頭を持つ蛇
- 宇宙を支える存在
- ヴィシュヌの寝台となる
乳海(ミルクの海): ヴィシュヌはこの乳海に浮かぶシェーシャナーガの上で横たわっています。
ラクシュミーの姿: 足元にはラクシュミーが座り、ヴィシュヌの足をマッサージしています。
蓮の花: ヴィシュヌのへそから蓮の茎が伸び、その上にブラフマーが座っています。
この姿とジャスミン
ヴィシュヌが横たわる乳海は、純白で甘い香りがすると言われています。これはジャスミンの花が浮かぶ水のようだとも形容されます。
永遠の休息の中で、ヴィシュヌはジャスミンの香りに包まれ、宇宙の夢を見ている——そんな詩的なイメージがあります。
ジャスミンの花輪:ヴァナマーラー
森の花輪
ヴィシュヌが首にかける花輪は「ヴァナマーラー」(森の花輪)と呼ばれ、五色の花で作られています。
- 白:ジャスミン——純粋さ
- 赤:ハイビスカスやバラ——力
- 黄:マリーゴールド——繁栄
- 青:青い蓮——無限
- ピンク:ピンクの蓮——愛
ジャスミンの位置: ヴァナマーラーの中で、ジャスミンは中心に置かれることが多く、他の花々を結びつける役割を果たします。
千の花の花輪
スカンダ・プラーナで言及される「千のジャスミンの花輪」は、実際に作ることができます。
作り方
- 新鮮なジャスミンを千個用意(通常は1008個)
- 太い針と絹糸を使用
- 花の基部を通して糸に通す
- 密集させながら長い輪を作る
- 非常に長い花輪(数メートル)になる
- ヴィシュヌ像に何重にも巻く
香り: 千ものジャスミンから発せられる香りは圧倒的で、その空間全体が天界のようになると言われています。
ヴィシュヌとナクシャトラの支配神
ヴィシュヌの化身と星宿
ヴィシュヌはいくつかのナクシャトラ(星宿)の支配神として、または化身として登場します。
シュラヴァナ(第22番目): 支配神はヴィシュヌです。「聞く」を意味するこのナクシャトラは、ヴェーダの知識を聞き、学ぶことを象徴しています。
ダニシュタ(第23番目): 支配神はアシュタヴァス(8つの神々)ですが、ヴィシュヌとも深く関連しています。
レーヴァティー(第27番目、最後): 支配神はプーシャンで、ヴィシュヌの一側面とされています。完成と到達を象徴します。
ナクシャトラとジャスミン
ヴィシュヌが支配神であるシュラヴァナ・ナクシャトラに生まれた人は、ジャスミンの花が特に縁深いとされています。
シュラヴァナ生まれの人への提案
- ヴィシュヌへの礼拝にジャスミンを使う
- 自宅でジャスミンを育てる
- ジャスミンの香りのものを身につける
これにより、ナクシャトラの支配神の祝福を受けやすくなると信じられています。
ジャスミンの実用的価値(詳細)
香水産業における地位
ジャスミンは「香りの王」と呼ばれ、香水産業で最も重要な花の一つです。
価値
- ジャスミン・アブソリュート(精油)は、金よりも高価
- 1キログラムの精油を得るために、約800万個の花が必要
- 手摘みで、早朝に収穫しなければならない
有名な香水
- シャネルNo.5
- ジョイ(ジャン・パトゥ)
- ジャスミン・ルージュ(トム・フォード)
多くの高級香水に、ジャスミンは欠かせない成分です。
インドのジャスミン産業
主要産地
- タミル・ナードゥ州(特にマドゥライ周辺)
- カルナータカ州
- アーンドラ・プラデーシュ州
市場: マドゥライのジャスミン市場は世界最大で、毎日何トンものジャスミンが取引されています。
用途
- 寺院への供花(最大の需要)
- 髪飾り
- 結婚式の装飾
- 香水の原料
- お茶
茶としてのジャスミン
ジャスミン茶
- 中国茶の重要な種類
- 緑茶や白茶にジャスミンの花を混ぜて香りをつける
- リラックス効果、集中力向上
作り方
- 新鮮なジャスミンの花を用意
- 乾燥させた茶葉と交互に層にする
- 密閉容器で数時間〜一晩置く
- 花が茶葉に香りを移す
- 花を取り除く(または残すこともある)
薬用効果
伝統医学: アーユルヴェーダでは、ジャスミンは以下の効果があるとされています。
- 心を落ち着かせる
- 不眠症の改善
- 消化促進
- 皮膚の美容効果
- 催乳作用
現代の研究
- 抗うつ作用
- 抗不安作用
- 抗酸化作用
- 抗菌作用
- 鎮静作用
アロマセラピー: ジャスミンの香りは、幸福感を高め、ストレスを軽減する効果があることが研究で示されています。
日本でのジャスミンとヴィシュヌ信仰
日本のヴィシュヌ寺院
日本にもいくつかのヴィシュヌ寺院(ISKCON寺院など)があります。
東京: ISKCON東京寺院では、ヴィシュヌ(クリシュナ)への礼拝が行われています。
名古屋、大阪: 各地にヴィシュヌ信仰のコミュニティがあります。
供花: これらの寺院では、可能な限りジャスミンの花を供えますが、入手困難な場合は白い花で代用されます。
日本でのジャスミン栽培
栽培可能な種類
- マツリカ(Jasminum sambac)
- ハゴロモジャスミン(Jasminum polyanthum)
- コモンジャスミン(Jasminum officinale)
栽培方法
- 鉢植えで栽培
- 春から秋は屋外、冬は室内
- 日当たりの良い場所
- 水はけの良い土
- つる性なので支柱が必要
開花時期
- マツリカ:温度が保たれれば一年中
- ハゴロモジャスミン:春
- コモンジャスミン:夏
ジャスミン茶の普及
日本でもジャスミン茶(さんぴん茶、香片茶)は人気があります。
沖縄のさんぴん茶: 沖縄では「さんぴん茶」としてジャスミン茶が日常的に飲まれています。これは中国の「香片(シャンピエン)」が訛ったものです。
コンビニでも: ペットボトルのジャスミン茶が、コンビニやスーパーで広く販売されています。
まとめ:千の花が奏でる、永遠の調べ
ヴィシュヌと白いジャスミン——その関係は、宇宙の秩序と調和、そして永遠なる愛を物語っています。
ジャスミンは小さな花です。しかし、千の花が集まった時、その香りは圧倒的で、空間全体を天界に変えます。一つひとつは小さくとも、調和して集まることで偉大な力となる——これは宇宙の維持の原理そのものです。
ヴィシュヌは宇宙を維持します。派手な創造でも、劇的な破壊でもなく、ただ静かに、しかし確実に、秩序を保ち続けます。ジャスミンの香りのように——目立たないけれど、確かにそこにあり、すべてを包み込む。
夜に最も強く香るジャスミンは、宇宙の夜(プラーラヤ)の間も眠らず守り続けるヴィシュヌを思わせます。暗闇の中でこそ、その香りは際立ちます。
白いジャスミンの完璧な星形は、宇宙の秩序の完璧さを表しています。対称的で、調和的で、美しい——それがヴィシュヌが維持する宇宙です。
スカンダ・プラーナで「千のジャスミンの花輪」と語られたように、ヴィシュヌには千の名前があります。一つひとつの名前が、一輪のジャスミンのように、神の異なる側面を表しています。
ジャスミンの香りを感じる時——その清らかで甘く、永遠に続くかのような香りの中に、宇宙を守り続ける神の静かな力、すべてを包み込む愛、そして永遠なる調和を感じることができるでしょう。
ヴィシュヌは今も、シェーシャナーガの上で横たわり、ジャスミンの香りに包まれながら、私たちの宇宙を守り続けています。
オーム・ナモー・ナーラーヤナーヤ
(ナーラーヤナ(ヴィシュヌ)に帰依します)
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