宇宙の創造を司るヒンドゥー教の神、ブラフマー。その誕生神話の中心にあるのが、一輪の蓮の花です。この神話において蓮は単なる背景ではなく、創造そのものの象徴として重要な役割を果たしています。
原初の海から咲いた黄金の蓮

ヒンドゥー教の創造神話では、宇宙がまだ混沌とした水の世界だった時代から物語が始まります。
永遠の眠りについていた維持神ヴィシュヌが、原初の海(宇宙の海)に横たわっていました。宇宙に生命を創造する時が来ると、ヴィシュヌのへそから一本の茎が伸び始めます。その茎はぐんぐんと成長し、やがて美しい黄金の蓮の花を咲かせました。
そして、その蓮の花びらが開くと、その中心からブラフマー神が現れたのです。
なぜ蓮の花だったのか?
この神話で蓮が選ばれたことには、深い象徴的意味があります。
1. 泥水から咲く清らかさ
蓮は泥の中に根を張りながら、水面に清らかで美しい花を咲かせます。これは混沌(泥水)から秩序と美(花)が生まれる創造のプロセスそのものを表しています。
2. 閉じた蕾から開く花
蓮の蕾が開いて花になる様子は、まさに宇宙の誕生、つまり未顕現の可能性が顕現する瞬間を象徴しています。ブラフマーが蓮の中から現れる場面は、創造の力が目覚める神聖な瞬間なのです。
3. 生命を支える台座
ヒンドゥー教の図像では、ブラフマー神はしばしば蓮の花の上に座った姿で描かれます。蓮は創造神の玉座であり、すべての生命と創造を支える基盤を表しています。
4. 水と生命の結びつき
蓮は水生植物であり、水は生命の源です。ブラフマーが水の中から生まれた蓮を通じて現れることは、生命が水から生まれるという古代の宇宙観を反映しています。
神話の蓮とブラフマー・カマラは別のもの
ところで、ブラフマー神に捧げられる神聖な花として「ブラフマー・カマラ」(Brahma Kamal)という高山植物があります。これはヒマラヤの高地に咲く白い花で、夜にのみ開花する神秘的な植物です。
しかし、創造神話に登場する蓮は、私たちがよく知る水生の蓮(ロータス)を指しています。サンスクリット語で「パドマ(Padma)」や「カマラ(Kamala)」と呼ばれるこの蓮は、ハス科の植物です。
一方、ブラフマー・カマラは高山に咲くキク科の植物で、蓮とは全く別の種類です。名前に「カマラ(蓮)」とついているのは、その神聖さと美しさから比喩的に蓮に例えられているためです。
蓮が持つ普遍的な神聖性

興味深いことに、蓮は世界中の様々な宗教や文化で神聖視されてきました。
以前のブログ「蓮の花に秘められた力~仏教、エジプト、ギリシャ神話から香りの世界まで」でもご紹介したように、仏教では悟りの象徴として、古代エジプトでは再生と太陽の象徴として崇められてきました。
ヒンドゥー教の創造神話における蓮も、これらと共通する「清浄さ」「再生」「神聖さ」というテーマを体現しています。文化や宗教を超えて、人類は蓮という植物に特別な霊的意味を見出してきたのです。
まとめ:創造の瞬間を映す一輪の花
ブラフマー神と蓮の花の神話は、単なる誕生物語ではありません。それは、混沌から秩序が生まれ、可能性が現実になり、創造の力が目覚める―そんな宇宙の根源的な原理を、一輪の花の開花という美しいイメージで表現しているのです。
次に蓮の花を見かけたとき、その花の中心に宇宙創造の神秘が宿っていることを思い出してみてください。古代の人々が見出した深い叡智が、今も私たちに語りかけているのかもしれません。

