静かな泉のほとりに、一人の青年が膝をついています。水面を覗き込み、動くことも、立ち去ることもできません。
彼が見つめているのは、この世で最も美しい顔——しかしそれは、他の誰でもない、彼自身の姿です。
ナルキッソス。その名は、美と自己愛の象徴となりました。愛されることを拒み、愛することも知らず、ただ自分自身の像に恋をした青年。
彼の物語は、愛の残酷さを語ります。そして孤独の本質を。手を伸ばしても決して触れることのできない、水面に揺れる幻影——。
泉のほとりで青年が消えた後、そこには白い花が咲いていました。うつむいて水面を見つめる、水仙の花が。
美しき青年ナルキッソス

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プロフィール
ギリシャ語表記: Νάρκισσος (Narkissos)
ラテン語表記: Narcissus
語源: ナルケー(νάρκη、麻痺、痺れ)——水仙の持つ麻酔作用から
本質
- 美の化身
- 自己愛の象徴
- 拒絶する者
- 満たされぬ欲望
- 鏡像との恋
誕生と予言
ナルキッソスは、川の神ケフィソスとニンフのレイリオペの息子として生まれました。
父なる川神が、美しいニンフを見初め、その流れで彼女を取り囲み、逃げられなくしたのです。こうして、望まれぬ結合から、ナルキッソスは生を受けました。
しかし生まれた赤子は、この世のものとは思えぬほど美しい子でした。
母レイリオペは不安になり、盲目の予言者テイレシアスのもとを訪れました。
「この子は、長生きするでしょうか?」
テイレシアスは、不可解な答えを返しました。
「この子が自分自身を知らなければ、長生きするだろう」
誰も、この予言の意味を理解しませんでした。しかし、やがてその言葉の恐ろしい真実が明らかになります。
比類なき美しさ
ナルキッソスは成長するにつれ、その美しさを増していきました。
十六歳になった頃、彼の美しさは完璧なものとなりました。滑らかな肌、輝く目、黄金の髪、完璧な顔の造形——神々さえも嫉妬するほどの美しさでした。
しかし、その美しい外見とは裏腹に、彼の心は冷たく、傲慢でした。
多くの若者が、多くの娘たちが、多くのニンフたちが、ナルキッソスに恋をしました。しかし彼は、すべてを冷たく拒絶しました。
愛されることには慣れていましたが、愛することを知りませんでした。いえ、愛することに興味がなかったのです。
彼にとって、他者は皆、自分の美しさを映す鏡に過ぎませんでした。そして鏡に恋をする者はいません——少なくとも、その時まではそうだったのです。
エコー——声だけになったニンフの悲恋

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声のニンフ
山のニンフ、エコー。彼女はかつて、美しい声と饒舌な性格で知られていました。
しかし彼女は、女神ヘラの怒りを買いました。
ゼウスが他のニンフたちと山で密会している間、エコーはヘラを長話で引き止めて、時間を稼いでいたのです。真相を知ったヘラは激怒しました。
「お前はその舌で、私を欺いたのか!ならば二度と、自分の言葉を話すことはできぬ。他者の言葉の最後を繰り返すことしかできぬ!」
こうしてエコーは、自分から話しかけることも、会話を始めることもできなくなりました。ただ、他者の言葉の最後を繰り返すことしかできない存在になったのです。
森での出会い
ある日、ナルキッソスが森で狩りをしていた時、エコーは彼を見ました。
そして瞬間的に、激しく恋に落ちました。
彼女は彼の後をついて行きましたが、自分から声をかけることができません。ただ隠れて、彼が何か言葉を発するのを待ちました。
ナルキッソスは、仲間とはぐれたことに気づき、叫びました。
「誰かいるのか?」
エコーは喜んで答えました。「いるのか?」
ナルキッソスは驚いて周りを見回しました。「こっちへ来い!」
「来い!」とエコーは答え、茂みから飛び出して、彼に抱きつこうとしました。
しかしナルキッソスは冷たく彼女を突き放しました。
「やめろ!私に触るな!死ぬ方がましだ、お前のものになるよりは!」
エコーは繰り返すしかありませんでした。「お前のものになるよりは……」
消えゆく声
拒絶されたエコーは、深い森へと逃げ込みました。
恥と悲しみに打ちひしがれて、彼女は洞窟に隠れました。食べることも、眠ることもせず、ただナルキッソスのことを思い続けました。
次第に彼女の体は痩せ衰えていきました。肉は削げ落ち、骨さえも石になり、最後には声だけが残りました。
今でも、山や谷で声を出せば、エコーが答えます。言葉の最後を繰り返して。
それは、かつて愛を求めて拒絶されたニンフの、永遠の残響なのです。
ネメシスの復讐——拒絶への報い
積み重なる拒絶
エコーだけではありませんでした。
ナルキッソスは、恋をした者すべてを冷酷に拒絶しました。優しい言葉も、真摯な愛も、彼には何の意味も持ちませんでした。
ある若者は、拒絶されたショックで命を絶ちました。死の間際、彼は天に祈りました。
「どうか神々よ、ナルキッソスが知るように——愛して、決して得られぬ苦しみを!」
この祈りは、復讐の女神ネメシスの耳に届きました。
正義の女神
ネメシスは、傲慢を罰し、バランスを取り戻す女神です。
彼女は、ナルキッソスの冷たさと傲慢さを見ていました。愛を拒み、他者の心を踏みにじる青年を。
そして彼女は、完璧な報復を思いつきました。
「お前は他者を愛することができない。ならば、お前自身を愛するがよい——しかし決して、その愛を満たすことなく」
泉のほとりで——運命の瞬間

喉の渇き
ある暑い日の午後、ナルキッソスは狩りに疲れ、喉が渇いていました。
森の奥深く、人の踏み込んだことのない場所に、清らかな泉を見つけました。
水面は完璧に静かで、鏡のように透明でした。木々に囲まれ、太陽の光が優しく差し込む、隠れた聖域のような場所でした。
ナルキッソスは膝をつき、水を飲もうと身をかがめました。
その瞬間、彼は水面に映る顔を見ました。
一目惚れ
そこには、この世で最も美しい顔がありました。
象牙のような肌、輝く瞳、完璧な唇——ナルキッソスは、瞬時に恋に落ちました。
彼は今まで、他者の美しさに心を動かされたことはありませんでした。しかしこの顔は違いました。完璧で、理想的で、まさに彼が愛するに値する唯一の存在でした。
「ああ、なんという美しさだ!」
彼は手を伸ばしましたが、指が水面に触れた瞬間、像は波紋で歪み、消えました。
ナルキッソスは手を引っ込めました。すると、像は再び現れました。今度は触れないように、そっと見つめました。
気づかない真実
像は、ナルキッソスの動きをすべて真似ました。
彼が微笑めば、像も微笑みました。涙を流せば、像も泣きました。手を伸ばせば、像も手を伸ばしました。
「なぜ逃げるのだ?」ナルキッソスは嘆きました。「私はそんなに醜いのか?いや、そんなはずはない——多くの者が私を愛したのだから」
「出てきてくれ!この水から!」
しかし像は出てきませんでした。ナルキッソスが近づけば近づくほど、像も近づいてきます。しかし決して、水面を越えてくることはありません。
彼は理解しませんでした。理解できませんでした。
これが自分自身の姿だということを。
テイレシアスの予言が、ついに実現しようとしていました——「自分自身を知れば、長生きできない」
囚われの愛
日が沈み、夜が来ても、ナルキッソスは泉のほとりを離れませんでした。
食べることも、飲むことも、眠ることも忘れて、ただ水面を見つめ続けました。
「どうか、私にキスをさせてくれ!」
彼は何度も唇を水面に近づけましたが、触れた瞬間、愛する顔は消えてしまいます。
「なぜ私を拒むのだ?私がこれほど愛しているのに!」
皮肉なことです。他者の愛をすべて拒んだ彼が、今度は愛を拒まれているのです。
しかし最も残酷なのは——彼が愛しているのは、誰でもない、彼自身だということ。そして彼は、それに気づいていないのです。
気づきと絶望——真実の瞬間
理解の瞬間
何日も何日も過ぎました。
ナルキッソスは衰弱していきました。頬はこけ、目は落ち窪み、かつての美しさは薄れていきました。
ある瞬間、風が水面を揺らしました。像が歪み、そして再び元に戻る時、ナルキッソスはふと気づきました。
像の動きが、あまりにも正確に自分と同じであることを。
「まさか……これは……」
恐ろしい真実が、彼の心に押し寄せました。
「これは私だ。私が……私自身に恋をしているのだ!」
彼は自分の髪を掻きむしりました。像も同じように髪を掻きむしりました。
「なんという愚かさ!なんという呪いだ!」
脱出できない苦しみ
しかし理解しても、もう遅すぎました。
彼は水面から目を離すことができませんでした。自分自身だとわかっていても、その美しさに魅了され続けました。
「愛しているのに、決して抱きしめることができない」
「触れようとすれば、消えてしまう」
「離れれば、いなくなってしまう」
これは、彼がエコーや他の愛した者たちに与えた苦しみと同じでした。愛して、拒絶される苦しみ。手を伸ばしても、決して届かない苦しみ。
ネメシスの復讐は、完璧でした。
最後の言葉
ナルキッソスは、泉のほとりで衰弱していきました。
もう立ち上がる力もありません。ただ横たわり、水面に映る自分の顔を見つめ続けました。
最後の力を振り絞って、彼は言いました。
「さようなら、愛しい人。たとえお前が私のものにならなくても、私はお前を愛し続ける」
そして彼は、そっと水面に唇を近づけました。最後のキスをするように。
しかしそのキスは、水面を揺らし、像を消しました。
そこに映っていたのは、ただ暗い水だけでした。
変身
ナルキッソスが息を引き取った時、不思議なことが起こりました。
ニンフたちが彼の遺体を火葬しようと泉のほとりに来た時、遺体はありませんでした。
その代わり、そこには一輪の花が咲いていました。
白い花弁、中心の黄色い冠。そして、うつむいて水面を見つめる姿。
水仙——ナルキッソスが変じた花です。
今でも水仙は、水のほとりを好み、うつむいて自分の姿を水面に映します。かつての青年のように。
エコーの声が、風に乗って響きました。
「さようなら……さようなら……」
水仙(Narcissus)——自己愛の白い花

植物学的情報
学名: Narcissus(ナルキッソス属)
主な種
- Narcissus poeticus(詩人の水仙)——白い花弁、黄色い中心
- Narcissus pseudonarcissus(ラッパ水仙)
- Narcissus tazetta(房咲き水仙)
科名: ヒガンバナ科(旧分類ではユリ科)
原産地: 地中海沿岸、南ヨーロッパ
開花時期: 早春(2月〜4月)
草丈: 20〜50センチメートル
外観の美しさ

水仙は、早春の使者です。まだ寒さの残る時期に、凛として咲く姿は、孤高の美しさを持っています。
詩人の水仙(Narcissus poeticus)——これが神話のナルキッソスが変じた花とされます。
純白の六枚の花弁が、完璧な星形を作ります。中心には、小さな黄色い副花冠(カップ)があり、その縁は赤やオレンジ色に縁取られています。
花はうつむきがちに咲き、まるで水面を覗き込むナルキッソスのようです。
香りは甘く、しかしどこか冷たく、距離を感じさせます——近づきがたい美しさです。
葉は細長く、剣のように直立します。灰緑色で、肉厚です。
球根は地下にあり、毎年同じ場所から芽を出します。まるで、泉のほとりに縛られたナルキッソスのように。
古代世界での呼び名

- ギリシャ語: νάρκισσος (narkissos)
- ラテン語: narcissus
- 英語: narcissus, daffodil(ラッパ水仙)
- フランス語: narcisse
- ドイツ語: Narzisse
- 日本語: 水仙(スイセン)
日本では「水の仙人」という美しい名前で呼ばれます。中国から伝わった名前で、清らかな水辺に咲く、仙人のように清高な花という意味です。
なぜナルキッソスの象徴なのか
うつむく姿: 水仙の花は、うつむいて咲きます。まるで水面を覗き込むナルキッソスのように。風が吹いても、視線は下を向いたまま——永遠に自分の姿を探し続けているかのようです。
孤高の美しさ: 水仙は単独で咲くことが多く(種によっては群生しますが)、他の花と混じることを好みません。ナルキッソスが他者との関わりを拒んだように。
冷たい香り: 水仙の香りは甘いですが、どこか冷たく、距離を感じさせます。近づきがたい美しさ——これがナルキッソスの本質です。
有毒性: 水仙の球根と葉には毒があります。触れることはできても、食べることはできない——愛することはできても、所有することはできない、ナルキッソスのように。
早春の花: 水仙は、他の花がまだ咲かない時期に咲きます。孤独な美しさ、他者を必要としない完結した存在。
水辺を好む: 多くの水仙は、水はけの良い場所を好みますが、水辺でも育ちます。泉のほとりで命を終えたナルキッソスの記憶です。
神話と結びついた特性

変身の花: ナルキッソスが消えた場所に咲いた花——それは、美しさが形を変えて永遠に残ったことを意味します。
自己完結: 水仙は、受粉に虫を必要としますが、見た目はまるで自分自身で完結しているかのようです。内側を向く花の形、自己充足的な美しさ。
鏡像の花: 水面に映る水仙の姿は、花そのものと完璧に対称です。これは、ナルキッソスと彼が愛した水面の像の関係を象徴します。
ナルケー(麻痺): 植物学名の語源となった「ナルケー」は、麻痺や痺れを意味します。水仙の香りには軽い麻酔作用があり、昔は鎮痛剤として使われました。ナルキッソスが泉のほとりで動けなくなったように、水仙の香りは人を縛りつけるのです。
水仙の薬効と毒性
薬効(歴史的使用)
古代ギリシャとローマでは、水仙の球根は薬として使われました。
- 鎮痛作用: 軽い麻酔効果
- 催吐剤: 毒物を飲んだ時の応急処置
- 腫れ物の治療: 外用薬として
しかし、使用量を誤ると危険でした。
毒性
水仙の球根と葉には、リコリン(lycorine)という有毒アルカロイドが含まれています。
誤食すると
- 吐き気、嘔吐
- 下痢
- 腹痛
- めまい、頭痛
- 重症の場合、痙攣や麻痺
日本でも、水仙の葉をニラと間違えて食べる事故が時々起こります。水仙の葉には独特の香りがありますが、ニラに似た形をしているため、注意が必要です。
象徴的意味
この毒性は、ナルキッソスの物語と完璧に対応します。
- 美しいが危険: 見た目の美しさに惹かれても、近づきすぎると傷つく
- 触れることはできても、所有はできない: 愛することと所有することの違い
- 内なる毒: 外見の美しさの下に隠された、心の冷たさ
水仙の象徴的意味——文化を超えて
西洋での象徴
- 自己愛、ナルシシズム: もちろん、これが最も有名な意味です
- 虚栄心: 外見への過度のこだわり
- 報われぬ恋: 決して満たされない愛の苦しみ
- 死と再生: 冥界の神ハデスにも捧げられた花(ペルセポネの神話でも登場)
- 新しい始まり: 早春に咲くことから、希望と再生の象徴
- 騎士道と尊敬: 中世では、騎士に贈る花として(「あなたは比類なき存在です」という意味)
東洋での象徴
中国と日本では、水仙の解釈が西洋とは異なります。
中国
- 清廉潔白: 仙人のような高潔さ
- 吉祥: 特に正月の花として珍重
- 雅致: 文人の愛した花
日本
- 清楚: 凛とした美しさ
- 神秘: 仙人を思わせる気品
- 自己陶酔: 西洋の影響も受けて、近代以降はナルシシズムの意味も
興味深いことに、東洋では水仙のうつむく姿を「謙虚さ」と解釈することもあります——西洋の「自己愛」とは正反対の意味です。
これは、同じ花でも、文化によって解釈が異なる好例です。
文化における水仙

花言葉
- 白い水仙: 神秘、尊敬
- 黄色い水仙: 私のもとへ帰って、愛に応えて
- ラッパ水仙: 尊敬、報われぬ恋
文学と詩
ワーズワース「水仙」(”I Wandered Lonely as a Cloud”, 1807)
英国ロマン派の詩人ワーズワースは、湖畔に咲く水仙の群れを讃える有名な詩を書きました。
「一面の黄金の水仙が、風に揺れて踊る様」——これは孤独からの慰めと喜びの象徴として描かれています。
オスカー・ワイルド
耽美主義の作家ワイルドは、ナルキッソスの物語を愛し、美と芸術の象徴として用いました。
音楽
多くの作曲家が、ナルキッソスの物語に霊感を受けています。
園芸
水仙は、世界中で愛される園芸植物です。品種改良により、何千もの品種が作られています。
- 早春の球根植物として人気
- 切り花としても流通
- 比較的育てやすく、毎年咲く
- ただし、切り花として他の花と一緒に生けると、水仙の茎から出る粘液が他の花を枯らすことがあります——これも「他者を拒む」ナルキッソスの性質の現れかもしれません
芸術に描かれたナルキッソスとエコー
古代の描写
ポンペイの壁画
ポンペイ遺跡から発掘された壁画には、水面を覗き込むナルキッソスが描かれています。美しい青年が、水辺で自分の姿に見入る瞬間——この主題は、古代からすでに人気がありました。
古代ギリシャの壺絵
水仙の花とナルキッソスの姿が、共に描かれることがありました。
ルネサンスから近代
カラヴァッジョ「ナルキッソス」(1597-99)
バロック期の巨匠による傑作。暗闇の中、水面を覗き込む美青年。その表情は、恍惚と絶望が混じり合っています。
光と影の劇的な対比——明るく照らされた青年の美しさと、その周りを取り囲む深い闇。これは、ナルキッソスの運命そのものです。
水面に映る像は、ほぼ完璧に対称的です。しかし、よく見ると微妙に歪んでいます——決して完全には一致しない、本体と鏡像の関係。
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス「エコーとナルキッソス」(1903)
ラファエル前派の画家による、物語の悲しい瞬間。
水辺に座るナルキッソスは、すでに自分の像に夢中です。その後ろに、エコーが悲しげに座っています。彼女は彼に触れることができません。彼は彼女の存在すら気づいていません。
二人の孤独——同じ場所にいながら、決して結ばれることのない二つの魂。
ニコラ・プッサン「エコーとナルキッソス」(1630頃)

Public Domain / Image by Nicolas Poussin (photo by Shonagon, 2022) / Wikimedia Commons (curid=123380747)
古典主義の巨匠による作品。ナルキッソスの死の瞬間を描いています。彼の周りには、悲しむニンフたちとキューピッドの姿。
19世紀以降
ダリ「ナルキッソスの変容」(1937)
シュルレアリスムの巨匠ダリは、ナルキッソスの物語を独特の解釈で描きました。
青年の体が石化し、その手から水仙の花が芽吹く——変容の瞬間を、夢のような風景の中で表現しています。
現代アート
ナルキッソスとエコーの物語は、現代でも多くのアーティストに霊感を与え続けています。
写真、彫刻、インスタレーション——様々な媒体で、自己愛と孤独のテーマが探求されています。
ナルシシズム——現代心理学への影響
心理学用語の誕生
1899年、精神分析学の創始者ジークムント・フロイトが、ナルキッソスの名から「ナルシシズム(Narcissism)」という用語を作りました。
これは、過度の自己愛、自分自身への性的または恋愛的な執着を意味します。
健全なナルシシズムと病的なナルシシズム
現代心理学では、ナルシシズムには二つの側面があることが認識されています。
健全なナルシシズム(一次的ナルシシズム)
- 自尊心と自己評価
- 自分を大切にする能力
- 健全な自己愛
- 自信と自己肯定感
これは、精神的健康に必要なものです。自分を愛せない人は、他者を愛することもできません。
病的なナルシシズム(自己愛性パーソナリティ障害)
しかし、過度になると問題です。
- 誇大的な自己重要感
- 賞賛への過度の欲求
- 共感性の欠如
- 他者を利用する傾向
- 傲慢な態度
- 批判への過敏な反応
これは、ナルキッソスが示した特徴そのものです——自分の美しさへの執着、他者の感情への無関心、愛の拒絶。
鏡像段階——ラカンの理論
精神分析学者ジャック・ラカンは、「鏡像段階」という概念を提唱しました。
幼児は、鏡に映る自分の姿を見て、初めて自分を一つの統合された存在として認識します。しかしこれは、実は誤認です——鏡の中の像は、本当の自分ではなく、理想化された自己像です。
エコーの物語——声を失った愛
忘れられた主人公
ナルキッソスの物語は有名ですが、エコーの物語はしばしば忘れられます。
しかし、彼女の物語もまた、深い真実を語っています。
声を奪われた女性
エコーは、自分の言葉を話す能力を奪われました。
これは、歴史を通じて多くの女性が経験してきたことの象徴かもしれません——自分の声を持つことを許されず、他者の言葉を繰り返すことしかできない。
彼女は愛を表現したかったのに、自分の言葉で言うことができませんでした。
「私はあなたを愛しています」と言いたかったのに、ナルキッソスが「やめろ!」と言った後、「やめろ!」と繰り返すしかできませんでした。
消えゆく存在
拒絶された後、エコーは文字通り消えていきました。
肉体が消え、骨が消え、最後には声だけが残りました。
これは、愛を拒絶された者が感じる経験の完璧な比喩です——自分の存在が否定され、実体を失い、ただ反響だけが残る。
現代のエコーたち
エコーの物語は、現代でも繰り返されています。
一方的に愛し、拒絶され、それでも相手のことを思い続ける——多くの人が経験する苦しみです。
自分の言葉を持てない、自分を表現できない——これもまた、現代社会の問題です。
二つの孤独
ナルキッソスとエコー——二人は対照的な孤独を体現しています。
ナルキッソス: 自己完結的な孤独。他者を必要とせず、自分自身だけを愛する。しかし、それは満たされることのない愛。
エコー: 他者に依存する孤独。愛する者に拒絶され、自分の声を失い、ただ反響となる。
両極端な孤独——しかし、どちらも本当のつながりを持てません。
健全な愛は、その中間にあるのでしょう。自己愛と他者愛のバランス。自分の声を持ちながら、他者の声にも耳を傾けること。
水辺に咲く花——現代に生きる神話
水仙の季節
早春、まだ寒さの残る頃、水仙が咲き始めます。
公園で、庭で、水辺で——うつむいて咲く白い花を見るとき、ナルキッソスの物語を思い出します。
他者の声を聴く
エコーは、自分の声を失いました。しかし、彼女の反響は今も残っています。
山で、谷で、洞窟で——私たちが声を出せば、エコーが答えます。
これは、他者の声に耳を傾けることの重要性を教えているのかもしれません。
自分の声だけでなく、他者の声も聴く。自分の姿だけでなく、他者の存在も見る。
ナルキッソスは、エコーの声を聴きませんでした。彼は、自分以外のものに興味がなかったのです。
しかし、もし彼が振り返って、茂みの中のエコーを見ていたら? もし彼が、彼女の言葉を聴いていたら?
物語は、違った結末を迎えたかもしれません。
愛することと愛されること
ナルキッソスは、愛されることには慣れていましたが、愛することを知りませんでした。
エコーは、愛することはできましたが、愛されることはありませんでした。
健全な愛は、この両方を必要とします。愛し、そして愛される。与え、そして受け取る。
自己愛も大切です——しかし、それだけでは不十分です。
他者への愛も大切です——しかし、自分を失っては意味がありません。
儚い美しさ
水仙の花は、長くは咲きません。数日から一週間ほどで、その美しさは散ります。
ナルキッソスもまた、その美しさを長く保つことはできませんでした。泉のほとりで衰弱し、やがて花に変わりました。
美しさは儚い——これは、物語が教える真実の一つです。
外見の美しさに執着しても、それは永遠には続きません。
しかし、愛と思いやりは、時を超えて残ります。エコーの声が、何千年も響き続けているように。
泉のほとりで、今も
春の日、静かな水辺に水仙が咲いています。
うつむいて水面を見つめる白い花——かつて美しく、傲慢で、孤独だった青年の姿が、そこにあります。
風が吹いて、花が揺れます。水面に映る像も、揺れます。
手を伸ばしても決して触れることのできなかった幻影は、今は花となって、毎年同じ場所に戻ってきます。
茂みの向こうには、誰もいません。エコーは、もう姿を持ちません。
しかし、山々から、谷から、反響する声は今も聞こえます。
誰かが呼べば、エコーが答えます。言葉の最後を繰り返して。それは、かつて愛を告げることができなかったニンフの、永遠の残響です。
水仙は、毎年同じ場所に咲きます。同じように、うつむいて、水面を見つめて。
ナルキッソスは泉のほとりを離れることができませんでした。彼は今も、花として、その場所に縛られています。
しかし人間は違います。水面から顔を上げて、森の中へ歩いていくことができます。
泉のほとりには、水仙が咲いています。
森の奥には、エコーの声が響いています。
二つの孤独が、今も静かに存在しています。
自己愛の白い花と、愛の反響と。
触れることのできない美しさと、声を失った愛と。
早春の水辺で、白い水仙が風に揺れるとき——数千年前の物語が、今も繰り返されています。
アモーレ・ファーティ
(運命を愛せよ)

