この記事でわかること
✓ オーディンとはどんな神か
✓ 世界樹ユグドラシルの構造と九つの世界
✓ ミーミルの泉で右目を捧げた理由
✓ 九日九晩の苦行でルーン文字を得た物語
✓ 三つの根と三つの泉(ウルズ・ミーミル・フヴェルゲルミル)
✓ ラグナロクと再生の物語
世界の中心に、一本の樹が立っています。ユグドラシル──トネリコの巨木は、九つの世界を貫き、宇宙そのものを体現します。
その樹の下で、北欧の最高神オーディンが座っています。彼には片目がありません。知恵と引き換えに差し出したその目は、泉に沈んでいます。さらに樹に九日九夜吊るされ、ルーン文字の秘密を得ました。
神と樹、知恵を求める者と宇宙。二つは切り離せません。すべてを賭けて知恵を求めた神と、永遠に世界を支え続ける樹の物語です。
オーディン──すべてを知ろうとした神

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プロフィール
古ノルド語表記: Óðinn
別名
- アルフォズル(全父)──すべての父
- ヴァルフォズル(戦死者の父)
- ハールバールズ(灰色の髭)
- グリームニル(仮面の者)
- ガングレリ(さすらい人)
- ハーヴィ(高き者)
役割・司るもの
- 戦争と勝利
- 知恵と詩
- 魔術(セイズ)
- ルーン文字
- 死者の魂
- 予言と運命
- 王権
シンボルと容姿
オーディンは、長い灰色の髭を蓄え、つばの広い帽子を深くかぶった隻眼の神として描かれます。右目を知恵と引き換えに失ったため、常に片目で世界を見つめています。
シンボルは槍グングニル、八本足の馬スレイプニル、二羽の鴉フギンとムニン、二匹の狼ゲリとフレキ。玉座フリズスキャールヴに座り、ヴァルハラで戦死者を迎えます。
神々の系譜
父: ボル──巨人ベストラとの間に生まれた神 母: ベストラ──巨人ボルソルンの娘 兄弟: ヴィリとヴェー 妻: フリッグ──愛と結婚の女神 子: トール(雷神)、バルドル(光の神)、ヘズ、ヴィーザル、ヴァーリなど多数
オーディンは北欧神話の最高神でありながら、完璧な存在ではありません。常に知恵を求め、犠牲を厭わず、ラグナロク(世界の終末)という避けられぬ運命に立ち向かう神です。
世界樹ユグドラシル
宇宙を支える樹
ユグドラシル──その名の意味は、「ユグ(オーディン)の馬」。
なぜ、樹が「馬」なのでしょうか。
それは、オーディンの壮絶な犠牲の物語に関わっています。
ユグドラシルは、トネリコの樹です。
トネリコ──モクセイ科の落葉樹。
北欧では、槍や盾の材料として使われてきました。
強靭で、しなやかで、決して折れない木。
戦士たちの命を守る、聖なる樹。
しかし、ユグドラシルは、ただのトネリコではありません。
あらゆる樹のうち、最も大きく、最も見事なもの。
その枝は、全世界の上に広がり、天空を支えています。
その根は、三つの世界へ深く伸びています。
九つの世界を内包し、すべてを繋ぐ、宇宙そのもの。
神々も、巨人も、人間も──
誰も、ユグドラシルの全体像を見ることはできません。
あまりにも大きすぎて。
あまりにも遠くまで広がっていて。
しかし、確かにそこにあります。
世界の中心に。
すべての始まりとして。
九つの世界
ユグドラシルは、九つの世界を内包しています。
三層構造で、それぞれに三つずつ。
最上層──天界
アースガルド(アースガルズ) オーディン、トール、フリッグなど、アース神族が住む世界。 黄金に輝く宮殿が立ち並び、ヴァルハラ(戦死者の館)があります。
ヴァナヘイム フレイ、フレイヤ、ニョルズなど、ヴァン神族が住む世界。 豊穣と自然の力を司る神々の国。
アールヴヘイム 光のエルフ(妖精)が住む美しい世界。 フレイが統治する、光に満ちた国。
中層──地上
ミッドガルド(ミズガルズ) 人間が住む世界。 アースガルドと海で隔てられ、巨大な蛇ヨルムンガンドが取り囲んでいます。
ヨトゥンヘイム 巨人族(ヨトゥン)が住む荒々しい世界。 神々と常に対立する、混沌の国。
スヴァルトアールヴヘイム(ニザヴェリル) ドヴェルグ(小人・ドワーフ)が住む地下の世界。 優れた鍛冶の技術を持ち、神々の宝を作ります。
最下層──冥界
ニヴルヘイム 霧と氷に覆われた、極寒の世界。 世界創造以前から存在する、原初の闇。
ムスペルヘイム 炎の巨人スルトが支配する、灼熱の世界。 ラグナロク(世界の終末)で、この炎がすべてを焼き尽くします。
ヘルヘイム 死者の国。 死の女王ヘルが統治し、戦死しなかった者たちの魂が集まります。
九つの世界が、一本の樹に支えられています。
ユグドラシルなくして、世界は存在できません。
樹が揺れれば、すべてが揺れます。
樹が倒れれば、すべてが終わります。
三つの根、三つの泉

J. L. Lund – Public Domain, via Wikimedia Commons
ユグドラシルには、三本の巨大な根があります。
それぞれの根は、異なる世界へ伸び、 それぞれの根元には、泉があります。
第一の根──ウルズ(運命)の泉
アースガルドへ伸びる根。
その根元に、ウルズの泉があります。
運命の泉とも呼ばれます。
この泉のほとりに、三人の女神が住んでいます。
ノルン(運命の三女神)──
ウルズ(Urðr)──過去
ヴェルザンディ(Verðandi)──現在
スクルド(Skuld)──未来
彼女たちは、すべての生命の運命の糸を紡いでいます。
神々も、巨人も、人間も──
すべての運命は、ノルンの手の中にあります。
オーディンでさえ、ノルンには逆らえません。
ノルンたちは、毎日ウルズの泉の水を汲み、 泥と混ぜて、ユグドラシルに注ぎます。
樹が枯れないように。
世界が終わらないように。
しかし、それでも樹は傷ついていきます。
神々は、毎日この泉のほとりで会議を開きます。
ビフレスト(虹の橋)を渡って、ユグドラシルの元へ。
そして、世界の行く末を語り合います。
第二の根──ミーミルの泉

Robert Engels(1866–1920)
『Deutsche Götter- und Heldensagen』(1903)より
ヨトゥンヘイム(巨人の国)へ伸びる根。
その根元に、ミーミルの泉があります。
知恵の泉とも呼ばれます。
この泉を守るのは、ミーミルという賢い巨人。
泉の水を飲めば、あらゆる知恵を得られます。
しかし、代償が必要です。
オーディンは、この泉の水を飲みました。
右目を差し出して。
第三の根──フヴェルゲルミルの泉
ニヴルヘイム(冥界)へ伸びる根。
その根元に、フヴェルゲルミルの泉があります。
毒の泉とも呼ばれます。
無数の毒蛇がひしめき合う、醜悪な泉。
そして、そこに──
ニーズヘッグという竜が棲んでいます。
樹に棲む生き物たち

ユグドラシルは、ただそこにあるだけではありません。
多くの生き物が、この樹に棲み、この樹を食べ、この樹を傷つけています。

頂上──鷲フレースヴェルグ
樹の最も高い枝に、一羽の鷲が止まっています。
フレースヴェルグ──「死体を飲み込む者」という意味。
巨大な鷲で、その羽ばたきが風を起こすと言われています。
そして、その鷲の目の間には──
ヴェズルフェルニルという鷹が止まっています。
鷲の上に、さらに鷹が。
何を見ているのでしょうか。
世界の果てを。
運命の行く末を。
根元──竜ニーズヘッグ
樹の根を、竜が齧っています。
ニーズヘッグ(Níðhöggr)──「憎しみの打撃」という意味。
毒の泉に棲み、絶えずユグドラシルの根を齧り続けます。
樹を倒そうとしているのか。
それとも、ただ飢えているのか。
誰にも分かりません。
幹を上り下りする──リスのラタトスク
鷲と竜の間を、一匹のリスが走り回っています。
ラタトスク(Ratatoskr)──「齧り歯の鋭い者」という意味。
このリスは、メッセンジャーです。
鷲が何か言うと、リスは幹を下って、竜に伝えます。
竜が何か言うと、リスは幹を上って、鷲に伝えます。
しかし──
リスは、嘘をつきます。
鷲の言葉を、悪く脚色して竜に伝えます。
竜の言葉を、侮辱的に変えて鷲に伝えます。
わざと、両者を仲違いさせています。
なぜでしょうか。
それは、誰にも分かりません。
ただ、リスは楽しそうに、幹を走り回っています。
枝を食べる──四頭の牡鹿
樹の若枝を、四頭の牡鹿が食べています。
ダーイン、ドヴァリン、ドゥネイル、ドゥラスロール
彼らは、ユグドラシルの樹皮と若芽を食料にしています。
樹は、傷つきます。
そして、ヘイズルーンという山羊も、樹の葉を食べています。
ユグドラシルは、常に攻撃されています。
竜に根を齧られ、 鹿に枝を食べられ、 時間とともに老いていきます。
それでも、樹は立ち続けています。
ノルンが水を与え、 世界がまだ樹を必要としているから。
しかし、いつか──
樹は倒れます。
オーディン – すべてを知ろうとした神
最高神の孤独
オーディン(Óðinn)──北欧神話の最高神。
しかし、彼は全知全能ではありません。
雷を操るトールほど強くなく、 若さを保つイドゥンのリンゴなしには老い、 そして──
すべての未来を、完全には知りません。
しかし、オーディンは、知っています。
ラグナロク──世界の終末が、いつか訪れることを。
その日、神々と巨人が最後の戦いを繰り広げます。
炎の巨人スルトが世界を焼き尽くします。
狼フェンリルがオーディンを飲み込みます。
そして、すべてが終わります。
オーディンは、恐れているわけではありません。
戦いを避けようとしているわけでもありません。
ただ、知りたいのです。
どうすれば、少しでも良い終わり方ができるのか。
どうすれば、新しい世界が美しく生まれるのか。
そのために、オーディンは知恵を求め続けます。
ミーミルの泉──片目の代償
ある日、オーディンはユグドラシルの根を辿りました。
ヨトゥンヘイムへ伸びる、第二の根を。
その根元に、泉がありました。
ミーミルの泉──知恵の泉。
泉のほとりに、巨人ミーミルが座っていました。
オーディンは、言いました。
「泉の水を、飲ませてほしい」
ミーミルは、答えました。
「この水は、ただでは与えられぬ。代償が必要だ」
「何が必要か」
「お前の目だ」
オーディンは、躊躇しませんでした。
右手で短剣を抜き、 左手で自分の右目を押さえ、
えぐり取りました。
そして、その目を、泉に投げ入れました。
目は、泉の底に沈んでいきました。
今も、そこにあります。
オーディンの右目が、泉の底から、世界を見つめています。
ミーミルは、角杯に泉の水を汲み、オーディンに差し出しました。
オーディンは、飲みました。
その瞬間──
世界のすべてが、見えました。
過去に何があったのか。
現在、何が起きているのか。
そして──
未来に、何が起こるのか。
オーディンは、知りました。
自分がいつか、狼に飲み込まれることを。
息子バルドルが死ぬことを。
ラグナロクが避けられないことを。
すべてを知りました。
しかし、知恵と引き換えに、片目を失いました。
オーディンは、それから「隻眼の神」と呼ばれるようになります。
帽子を深くかぶり、片目を隠して。
しかし、その隻眼で、オーディンは世界のすべてを見ています。
ユグドラシルでの苦行──ルーン文字の獲得

知恵を得たオーディンでしたが、まだ満足していませんでした。
もっと深い知識が、欲しい。
言葉の力、魔術の秘密、ルーン文字──
ある日、オーディンは決意しました。
自らを生贄に捧げる、と。
オーディンは、槍グングニルを自分の脇腹に突き刺しました。
そして、ユグドラシルの枝に、逆さ吊りにされました。
自分で、自分を吊るしました。
九日九夜。
オーディンは、樹に吊るされたまま、苦しみ続けました。
水も飲まず、 食べ物も口にせず、 誰の助けも借りず。
風に揺られながら、 槍に貫かれたまま、 ただ、耐えました。
なぜ、こんなことをしたのでしょうか。
それは、犠牲なくして、真の知識は得られないと、オーディンが信じていたからです。
何かを得るためには、何かを失わなければならない。
等価交換。
目を失って、知恵を得たように、 今度は命を賭けて、さらなる秘密を得ようとしました。

九日目の夜、オーディンは限界に達しました。
意識が遠のいていきます。
その時──
ルーン文字が、見えました。
樹の根元に、光る文字が。
オーディンは、必死に手を伸ばしました。
指先が、文字に触れました。
その瞬間──
ルーン文字のすべてが、オーディンの中に流れ込みました。
オーディンは、樹から落ちました。
地面に倒れ込みました。
しかし、手の中には──
ルーン文字の知識がありました。
ルーン文字──北欧の古代文字。
魔術の文字。
一つ一つの文字に、力があります。
刻むことで、呪いをかけたり、守護したり、未来を占ったりできます。
オーディンは、この文字の秘密をすべて手に入れました。
「ユグドラシル」という名前の意味を、覚えていますか?
「ユグ(オーディン)の馬」。
なぜ、樹が「馬」なのか。
それは──
オーディンが、この樹に「乗った」からです。
吊るされ、苦しみ、そして知識を得るために、 オーディンはユグドラシルを「乗り物」として使いました。
樹は、オーディンの馬でした。
犠牲の象徴
オーディンのこの苦行は、後世に大きな影響を与えました。
自らを犠牲にすることで、何かを得る。
死を通過することで、新しい知識に到達する。
タロットカードに、「吊るされた男(The Hanged Man)」というカードがあります。
逆さ吊りにされた男が、描かれています。
このカードのモチーフは、オーディンだと言われています。
犠牲、忍耐、そして啓示。
すべてを失うことで、すべてを得る。
これが、オーディンの道です。
トネリコという樹

聖なる木
ユグドラシルは、トネリコ(Ash)の樹です。
トネリコ──モクセイ科の落葉樹。
学名はFraxinus。
北欧では、セイヨウトネリコ(Fraxinus excelsior)が一般的です。
高さ30メートルにもなる大木。
幹は真っ直ぐに伸び、枝は空に向かって広がります。
堂々とした、力強い樹。
トネリコの木材は、非常に優れています。
強靭で、しなやかで、衝撃に強い。
そのため、古代から様々な用途に使われてきました。
槍の柄 盾 弓 オール(船の櫂) 家具 建築材
北欧の戦士たちは、トネリコの槍を持って戦いました。
オーディンの槍グングニルも、ユグドラシルの枝から作られたと言われています。
トネリコは、戦いの木でした。
人間の起源
北欧神話では、人間もトネリコから生まれたとされています。
世界が創られた後、オーディンと二人の兄弟(ヴィリとヴェー)が海辺を歩いていました。
そこに、二本の流木がありました。
一本はトネリコ。
もう一本はニレ(Elm)。

オーディンたちは、この流木を彫刻しました。
神々の作品なので、彫刻は命を宿し、動き出しました。
トネリコから、最初の男が生まれました。
名前は、アスク(Askr)──「トネリコ」という意味。
ニレから、最初の女が生まれました。
名前は、エンブラ(Embla)──「ニレ」または「蔓」という意味。
オーディンは、二人に息を与えました。
ヴィリは、二人に意識と動きを与えました。
ヴェーは、二人に顔、言葉、聴覚、視覚を与えました。
こうして、人間が誕生しました。
人間は、トネリコとニレから生まれた。
樹の子供たち。
ユグドラシルの、小さな写し。
まとめ──知恵と樹が紡ぐ物語
世界の中心に立つユグドラシル。
九つの世界を貫き、三つの根が三つの泉へと伸びます。運命の泉ウルズ、知恵の泉ミーミル、毒の泉フヴェルゲルミル。それぞれの泉が、過去と現在と未来を映し出しています。
樹の頂には鷲が、根元には竜が棲み、その間をリスが駆け巡る。四頭の牡鹿が枝を食べ、ノルンたちが水を注ぐ。ユグドラシルは、無数の命に囲まれ、傷つけられながらも、世界を支え続けています。
そして、その樹の下に座る神がいます。
オーディン──片目を失った神。
すべてを知っているわけでもなく、最強でもなく、不老不死でもありません。
しかし、彼は求め続けます。
知恵を。理解を。少しでも良い未来を。
ユグドラシルとオーディン。
樹と神。
宇宙と知恵を求める者。
二つは、切り離せません。
樹は今も、立っています。
森の中で、静かに。
根を深く張り、幹を真っ直ぐに伸ばし、枝を空へ広げながら。
もし大きなトネリコの樹を見つけたら、
幹に手を当てて、目を閉じて。
そこに、ユグドラシルを感じられるかもしれません。
そして、隻眼の神が、まだそこで世界を見つめているかもしれません。
樹は、立ち続ける。
世界を支えながら。
すべてを繋ぎながら。
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