夜空に輝く星々——その一つ一つに、忘れられた物語が眠っています。
中編となる今回は、獅子座、乙女座、天秤座、蠍座——4つの星座の物語を綴ります。
誇り高き不死の獅子。娘を想う母の深い愛。人間を信じ続けた最後の女神。そして傲慢な狩人を倒した小さな暗殺者——
時を超えた物語が、再び始まります——
獅子座 ♌ ネメアの獅子とヘラクレスの栄光
不死の獅子
ネメアの谷に、恐ろしい獅子が住んでいました。
この獅子は、下半身が蛇の怪物エキドナと、双頭の犬オルトロスの間に生まれたとも、大地の女神ガイアと奈落の神タルタロスの間に生まれた巨人テュポンの子とも言われています。
何よりも恐ろしいのは——この獅子の皮は、どんな武器も通さないということでした。
剣は刃こぼれし、槍は折れ、矢は跳ね返されます。
そして獅子自身も、恐るべき力と素早さを持っていました。鋭い爪と牙で人間や家畜を次々と襲い、ネメアの谷は恐怖に包まれていました。
この獅子を退治すること——それが、ヘラクレスの第一の試練でした。
英雄の戦い

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ヘラクレスは、まず弓矢で攻撃を試みました。
しかし、矢は獅子の皮を貫くことができず、弾かれてしまいます。
次に、頑丈なオリーブの木で作った棍棒で殴りかかりました。強烈な一撃が獅子の頭に命中——しかし、棍棒が砕けました。獅子は少しよろめいただけで、むしろ怒りを増したようでした。
「武器は通じない…ならば!」
ヘラクレスは覚悟を決めました。
獅子が洞窟に逃げ込もうとしたとき、ヘラクレスは入り口を岩で塞ぎ、別の入り口から洞窟に入りました。逃げ場を失った獅子と、英雄の一対一の戦い——
ヘラクレスは素手で獅子に立ち向かいました。
獅子の鋭い爪が、ヘラクレスの肉を裂きます。しかしヘラクレスは、獅子の首に腕を回し——
力の限り、締め上げました。
獅子は暴れます。後ろ足の爪でヘラクレスを蹴り、牙で噛もうとします。しかし、ヘラクレスの腕はまるで鉄の輪のように、獅子の首を締め続けました。
そして——
三日三晩の戦いの末、ついに獅子は息絶えました。
獅子の毛皮

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ヘラクレスは、獅子の皮を剥ごうとしました。しかし、どんな刃物も通じません。
考えた末、ヘラクレスは獅子自身の爪を使って、皮を剥ぎました。獅子の爪だけが、その皮を切ることができたのです。
こうして手に入れた獅子の毛皮を、ヘラクレスは自分の体に纏いました。
どんな武器も通さない、不死の鎧——
以後、ヘラクレスは常にこの獅子の毛皮を身につけ、頭には獅子の頭部を被っています。この姿が、ヘラクレスのトレードマークとなりました。
そして——女神アテナは、この偉大な獅子を天に上げ、獅子座として夜空に輝かせました。
獅子は倒されはしましたが、その強さ、その誇りは、永遠に語り継がれるべきものでした。
【獅子座が象徴するもの】
堂々とした自己表現、創造性、誇り、リーダーシップ。圧倒的な存在感と、決して屈しない強さ——
乙女座 ♍ デメテルとペルセポネ、季節を生んだ母の愛
春の女神の誘拐
豊穣の女神デメテルには、一人娘がいました。
ペルセポネ——春の若々しさそのもののような、美しく無垢な娘でした。
デメテルはペルセポネを心から愛し、常にそばに置いて大切に育てていました。ペルセポネもまた、母を慕い、二人は幸せな日々を送っていました。
ある日、ペルセポネはニンフたちと野原で花を摘んでいました。
その様子を、地下から一人の神が見ていました。
冥界の王ハデス。
死者の国を治める孤独な王は、春の光の中で笑うペルセポネの姿に、心を奪われてしまったのです。
ハデスは兄であるゼウスに相談しました。
「ペルセポネを妻に迎えたい」
ゼウスは承諾しました。しかし——デメテルには言いませんでした。豊穣の女神が、愛娘を冥界へやることに同意するはずがないと知っていたからです。
ある日、ペルセポネが美しい水仙の花に手を伸ばしたその瞬間——
大地が割れました。
黒い馬が引く戦車が地中から現れ、ハデスがペルセポネを掴み上げました。
「いやっ!お母様!」
ペルセポネの悲鳴が響きましたが、次の瞬間には大地が閉じ、彼女の姿は消えていました。
母の悲しみと大地の冬

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「ペルセポネ!ペルセポネ!」
娘の悲鳴を聞いたデメテルは、娘を探し始めました。
オリュンポス中を、世界中を、九日九晩、休むことなく探し続けました。
しかし、どこにも娘の姿はありません。
十日目の朝、太陽神ヘリオスが真実を告げました。
「デメテルよ…ペルセポネは、冥界にいる。ハデスが妻として連れ去ったのだ」
デメテルは絶望しました。
娘が、永遠に戻らない死者の国に——
デメテルの悲しみは、世界を変えてしまいました。
豊穣の女神が悲しむとき、大地は実りを失います。
草木は枯れ、花は咲かず、種を蒔いても芽が出ません。世界は冬に閉ざされました。
人々は飢え、神々への捧げ物も途絶えました。
ゼウスの仲裁

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このままでは人類が滅びてしまう——
ゼウスはハデスに使者を送りました。
「ペルセポネを返せ」
しかし、冥界には掟がありました。
冥界の食べ物を口にした者は、二度と地上に戻れない——
ハデスは答えました。
「ペルセポネは、ここでザクロの実を4粒食べた。もう彼女は、冥界の住人だ」
実は、ハデスはペルセポネに無理やりザクロを食べさせたわけではありませんでした。最初は拒んでいたペルセポネでしたが、ハデスの優しさや、冥界の静謐な美しさに、少しずつ心を開き始めていたのです。そして、ほんの4粒だけなら…と思い、ザクロを口にしてしまったのでした。
ゼウスは考えました。そして、一つの妥協案を提示します。
「ペルセポネは、一年のうち4ヶ月を冥界で、8ヶ月を地上で過ごすこととする」
ザクロを4粒食べたのだから、4ヶ月はハデスの元へ。残りは母の元へ——
こうして、ペルセポネは一年の一部を冥界で過ごし、残りを地上で過ごすことになりました。
季節の誕生
ペルセポネが地上に戻る時——
デメテルは喜び、大地は再び実ります。花が咲き、緑が萌え、暖かな風が吹く——それが春です。
ペルセポネが地上にいる間、デメテルは幸せに満ち、大地は豊かに実ります——それが夏です。
しかし、ペルセポネが冥界へ戻る時期が近づくと——
デメテルは悲しみ始め、木々は葉を落とし始めます——それが秋です。
そしてペルセポネが冥界へ降りると——
デメテルは再び悲しみに沈み、大地は凍てつき、何も育ちません——それが冬です。
こうして、四季が生まれました。
母と娘の別れと再会が、季節の移ろいを作ったのです。
デメテルは、麦の穂を持つ姿で描かれます。豊穣の女神として、人類に農業をもたらした偉大な母として——
そして、デメテルは天に上げられ、乙女座として夜空に輝いています。
今も乙女座は、手に麦の穂を持つ姿で描かれます。それは娘を思う母の愛と、大地の恵みを象徴しているのです——
【乙女座が象徴するもの】
完璧さ、奉仕、繊細さ、実りをもたらす力。そして何より——愛する者を思う深い心と、その愛がもたらす豊かさ——
天秤座 ♎ 正義の女神アストラエアの天秤
黄金時代の正義
遠い昔、人類が最も純粋だった時代——黄金時代と呼ばれる頃。
人々は正直で、争いもなく、法律さえ必要としませんでした。大地は自ら実り、人々は平和に暮らしていました。
この時代、神々は人間と共に地上を歩いていました。
その中の一人が、正義の女神アストラエアでした。
アストラエアは、星々を司る神アストライオスと、黎明の女神エオスの娘。あるいは、大神ゼウスと法の女神テミスの娘とも言われています。
彼女は天秤を手に持ち、すべてのものを公平に量りました。善と悪、正義と不正義——彼女の前では、すべてが正しく判断されました。
人間の堕落

しかし、時代は移り変わりました。
黄金時代が終わり、銀の時代が来ると、人々は少しずつ傲慢になり始めました。
そして青銅時代——人々は武器を手にし、争い始めました。
多くの神々が、失望して天へ帰っていきました。
しかし、アストラエアだけは、地上に留まりました。
「まだ希望はある。人間は、再び正しい道を歩めるはずだ」
彼女は信じ続けました。人間の善性を、正義の心を——
そして鉄の時代が訪れました。
人々は互いに殺し合い、嘘をつき、欲望のままに生き、正義など顧みなくなりました。
アストラエアは、天秤を手に、最後まで人々に正しい道を説きました。
しかし——もう、誰も聞く者はいませんでした。
最後の神

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ついに、アストラエアは決断しました。
「私も、天へ帰らなければならない」
彼女は、地上を歩く最後の神となりました。
すべての神々が去った後も、一人だけ人間のそばにいた、最後の希望——
アストラエアが天へ昇るとき、彼女は涙を流しました。
人間を愛していたから。人間を信じていたから。だからこそ、見捨てなければならないことが、悲しかったのです。
天に昇ったアストラエアは、乙女座となったとも言われます。あるいは、彼女が手にしていた天秤が、天秤座として夜空に輝いているとも——
天秤座は、今も夜空で、正義と公平のシンボルとして輝き続けています。
そしてアストラエア自身は、乙女座として、あるいは星々の間に身を潜めて、今も人間を見守っているといいます。
いつか人間が再び正義を取り戻し、黄金時代が戻ってくることを——彼女は今も、信じているのかもしれません。
【天秤座が象徴するもの】
公平、バランス、調和、美的センス。そして——失われた正義を取り戻そうとする、希望の心——
蠍座 ♏ オリオンを倒した猛毒の蠍
傲慢な狩人
オリオンは、海神ポセイドンの息子として生まれた、類まれなる狩人でした。
その巨体、その美貌、そしてその狩りの腕——すべてにおいて、オリオンは完璧でした。
そして——彼は、それを知っていました。
「この世に、俺が倒せない獲物などいない」
「この地上のすべての動物を、俺は狩り尽くしてやる」
オリオンは、自らの力を誇り、傲慢な言葉を口にするようになりました。
この言葉を聞いて、怒る者たちがいました。
一人は、大地の女神ガイア。地上のすべての生き物の母である彼女にとって、「すべての動物を殺す」という言葉は、我が子を殺すと宣言されたも同然でした。
もう一人は、狩猟の女神アルテミス。あるいは女神ヘラとも言われます。狩りを司る神々にとって、「すべてを狩り尽くす」という傲慢さは、許しがたいものでした。
小さき暗殺者

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ガイアは、一匹の生き物を送り込みました。
蠍(スコーピオス)——
小さいながらも、猛毒を持つ暗殺者です。
蠍は、オリオンが狩りをしている草むらに、静かに潜んでいました。
オリオンは、その存在に気づきません。巨大な猪を追い、力強く槍を構え——
その足元に、蠍がいました。
蠍は、オリオンのかかとに、毒針を刺しました。
「!?」
オリオンは驚きました。足に激痛が走ります。
見れば、小さな蠍が、自分の足に針を刺しています。
「こんな小さな虫が…」
オリオンは蠍を踏み潰そうとしました。しかし——
毒は、すでに全身に回っていました。
オリオンの巨体が、ゆっくりと倒れます。
「この俺が…こんな小さな蠍ごときに…」
それが、オリオンの最後の言葉でした。
どれほど強く、どれほど美しく、どれほど完璧な者でも——たった一匹の小さな蠍の毒で、命を落とすのです。
永遠の追いかけっこ

Public Domain,via Wikimedia Commons
オリオンを憐れんだ神々——ある説ではアルテミスが、オリオンを天に上げ、星座としました。
そして、オリオンを倒した蠍もまた、その勇気を称えられ、蠍座として天に上げられました。
しかし——今も、オリオン座と蠍座は、夜空で永遠の追いかけっこを続けています。
蠍座が東の空に昇ると、オリオン座は西の空へ沈みます。
オリオンは、今も蠍を恐れているのです。自分を倒したあの小さな暗殺者を——
そして蠍は、今も獲物を追い続けています。
【蠍座が象徴するもの】
深い洞察、変容、情熱、執念深さ。小さくとも核心を突く力。そして——傲慢な者への戒め——
あとがき——物語が紡ぐ真実
4つの星座、4つの物語——
不死の獅子とヘラクレスの戦い。母デメテルの深い愛が生んだ四季。最後まで人間を信じた正義の女神。そして傲慢な狩人を倒した小さな蠍——
これらの物語は、それぞれに異なる情景を描きながら、どこか共通するものを持っています。
力だけでは乗り越えられない壁。愛する者を思う深い心。信じ続けることの美しさと悲しさ。そして、小さな者でも大きな影響を与えられるという真実——
古代ギリシャの人々は、こうした人間の本質を、星々に託して語り継いできました。
時代が変わっても、場所が変わっても、人間の心の真実は変わらない——星座の物語は、そのことを静かに教えてくれているのかもしれません。
後編へ続く
12星座の旅も、残すところあと4つとなりました。
次回の後編では、射手座、山羊座、水瓶座、魚座の物語を綴ります。
賢者ケンタウロス・ケイロンの悲劇、牧神パーンの変身、美少年ガニュメデスの昇天、そしてアフロディーテとエロスの深い絆——
← 星座に秘められた神々の物語(前編)〜牡羊座・牡牛座・双子座・蟹座
→ 星座に秘められた神々の物語(後編)〜射手座・山羊座・水瓶座・魚座
夜空に輝く星々。
そこには、何千年も前の人々が見た夢、感じた思いが、今も静かに輝いています。
12星座シリーズ
- 【前編】牡羊座・牡牛座・双子座・蟹座
- 【中編】獅子座・乙女座・天秤座・蠍座(この記事)
- 【後編】射手座・山羊座・水瓶座・魚座


