ピオニー(ボタン・シャクヤク)|神々の医師が宿った花——権力に抗い、星を宿す薬草の記憶

ピオニー(ボタン・シャクヤク)|神々の医師が宿った花——権力に抗い、星を宿す薬草の記憶 アイキャッチ 植物と記憶(ボタニカル・アーカイブ)

春になると、牡丹は一斉に咲きます。豊かに重なる花びら、甘く濃い香り。その短い盛りに、人はみな足を止めます。

「花王」——中国でそう呼ばれるのは、その豊かな姿だけが理由ではありません。この花には、権力の命令を拒んだ記憶があります。ギリシャ神話の医師の名を受け継ぎ、唐の女帝の怒りをかわし、17世紀のイングランドでは星の力を宿す薬草として書き留められた花——ピオニーが蓄えてきた記憶は、治癒と誇り、そして頑強な生命力が不可分に絡み合っています。

花びらの向こうに、長い記憶があります。


植物の基本情報

項目内容
和名ボタン(牡丹)、シャクヤク(芍薬)
英名Peony
学名Paeonia suffruticosa(ボタン)/Paeonia lactiflora(シャクヤク)
科名ボタン科(Paeoniaceae)ボタン属
原産地中国北西部・チベット高原周辺(ボタン)、中国・モンゴル・シベリア(シャクヤク)
樹高・草丈ボタン:落葉低木、0.5〜2m。シャクヤク:多年草、60〜100cm
開花4〜5月。大輪の花を短期間に咲かせる
特徴ボタンは冬も枝が残る木本。シャクヤクは冬に地上部が枯れ、春に根から芽吹く
生薬根皮を「牡丹皮(ぼたんぴ)」として東洋医学に用いる

物語の記憶——神話・伝説・古典の出典

ペオンという名の医師——ホメロスの叙事詩より

古代ギリシャの盲目の詩人ホメロスが遺した叙事詩『イリアス』のなかに、「ペオン(Paeon)」という名が現れます。オリンポスの神々が戦で傷を負ったとき、その痛みを鎮めた医師です。

戦の神アレスが激しい槍に倒れたときも、冥界の王ハデスがヘラクレスの放った矢に射抜かれたときも、ペオンはそっと薬草を施し、その傷口をたちまち閉じました。神でも英雄でもなく、ただ生命を「癒やす者」として、彼は静かに戦さの陰に佇んでいたのです。

やがて後代になると、この物語に切ない続きが紡がれるようになります。 ペオンはもともと、高名な医術の神アスクレピオスの愛弟子だった、という伝承です。しかし、若き彼の類まれなる才能は、皮肉にも師の激しい嫉妬を呼び起こしてしまいました。アスクレピオスが我が手を血で染め、弟子を亡き者にしようとしたその時、すべてを見届けていた主神ゼウスがペオンを哀れみ、彼を一輪の美しい花へと変えたのです。

こうして彼は不死になりました。花として、大地に根を張り続けることで。

Paeonia——この花の学名は、その医師の名に由来します。古代ローマの博物学者プリニウスも、『博物誌』の中でこの花を「ペオン」と記し、その薬効を紹介しています。テオフラストスもまた、植物誌の中でこの花の名を書き留めました。神話の記憶と薬草の記録が、同じひとつの名前に刻まれています。

この物語には、続きがあります。ケイロン——ヘラクレスをはじめとする英雄たちを育てた半人半馬の賢者——も、ヘラクレスの毒矢による癒えない傷を抱え、多くの薬草の知識を備えながらも、自らの傷だけは癒やすことができませんでした。医術の神ペオンと、傷ついた癒し手ケイロン。ふたつの物語は、「治癒」という人類の根源的な祈りのなかで、静かに交差します。→ [【ギリシャ神話】ケイロンとヤグルマギク——傷ついた賢者と癒しの青い花]

花王の試練——則天武后と牡丹の伝説

唐の時代、花の王は別の試練を受けます。

則天武后——中国史上唯一の女帝(在位690〜705年)——は、ある冬の宴のさなか、酒を手に詩をつくっていました。庭が雪に覆われ、殺風景なことが気に入らなかった。彼女は一枚の詔書を書いたといいます。「明朝、百花よ、一斉に咲け」と。

花々は恐れて命に従い、真冬の庭に一夜で咲き乱れました。ただ、牡丹だけが従いませんでした。

春に咲く花は、冬には咲かない。それが牡丹の理でした。

怒った則天武后は牡丹を洛陽へ追放し、さらに焼き払うよう命じました。けれど焼かれた牡丹は、翌年になると以前にも増して花を開かせました。

これが、洛陽が「牡丹の都」と呼ばれる起源の伝説です。中国で牡丹が「花王」と呼ばれるのは、その豊かな姿だけではありません。権力の命令に屈せず、季節の理に従い続けた花として、記憶されてきたからでもあります。

(※本伝説は唐代の民間伝承であり、史書に記録された史実ではありません。則天武后の宮廷が長安から洛陽に移ったことは史実であり、洛陽が牡丹の名所として発展したことも確かですが、この物語はその起源を説明する後世の伝説と考えられています)

カルペパーの星——17世紀イングランドの薬草書より

17世紀のイングランドに、ニコラス・カルペパーという人物がいました。占星術師であり、薬草学者。1652年に刊行した『The English Physitian(後の The Complete Herbal)』の中で、彼は多くの薬草にひとつの惑星を割り当てました。天と地はひとつながりの調和の中にある、という確信から。

ピオニーに与えられた惑星は、太陽(The Sun)でした。

当時の医学では、てんかん(当時「falling-sickness」と呼ばれていました)は「脳に溜まった悪しき停滞」が原因と考えられていました。太陽のハーブであるピオニーの根を煎じて飲むことは、その停滞を払う特効として記されています。子宮の回復を助ける力についても、同様に。

さらにカルペパーが大真面目に書き留めたのが、ひとつの民間伝承でした。ピオニーの生の根を糸に通し、子供の首にかけておくと、てんかんの予防になり、悪夢からも守られる——という信仰です。飲む薬としてだけでなく、身に帯びるお守りとして、この花の力を信じた人々がいたのです。

また彼は、薬草を採集するタイミングにも厳しいルールを定めました。ピオニーの根を掘り出すのは、吉祥な時でなければ、その薬効は著しく落ちると。植物に宿る力は、収穫する瞬間の天体の状態と切り離せないという、彼ならではの「確信」でした。当時の占星医術では、植物がもっともその力を高める時期や、採集すべき一瞬のタイミングにも、天体の運行が深く関わっていると考えられていたのです。


植物の詳細情報

東西の薬草記録

ピオニーは、東洋と西洋、両方の医療の記録に名を残す植物です。

中国では『神農本草経』(紀元前後)に記載があり、2000年以上にわたって薬用に用いられてきました。根皮「牡丹皮(ぼたんぴ)」は中医学の代表的な生薬で、婦人科系の疾患、炎症、血行不良への処方として今日も漢方薬に用いられています。根を乾燥させた「白芍(びゃくしゃく)」もまた、補血・鎮痛の処方薬として広く知られています。

古代ギリシャ・ローマでも、ペオンの名とともにその薬効が記録されました。中世ヨーロッパの修道院では薬草園にピオニーを栽培し、てんかんや頭痛への処方として利用していたことが記録されています。

項目内容
使用部位根皮(牡丹皮)、根(白芍・赤芍)
主な用途(東洋医学)月経不順、婦人科系疾患、炎症、鎮痛、活血化瘀(血流改善)
主な用途(西洋伝承)てんかん、めまい、頭痛、女性特有の不調
出典神農本草経(中国)、プリニウス『博物誌』(西洋)

現代の植物科学

成分作用
ペオニフロリン(paeoniflorin)抗炎症・鎮痛・神経保護作用
ガロタンニン類抗酸化・抗菌作用
アルビフロリン(albiflorin)鎮静・抗痙攣作用
フラボノイド類抗炎症・抗酸化作用
β-シトステロール(種子油)保湿・抗炎症・皮膚バリア機能のサポート

現代薬理学の研究において、牡丹皮の主要成分ペオニフロリンには、抗炎症・鎮痛・神経系保護の作用が確認されています。東洋医学が数百年にわたって積み重ねてきた処方経験が、現代科学の言語で少しずつ解明されつつある段階にあります。

「立てばシャクヤク、座ればボタン」

日本では、美しい女性をたとえてこの言葉が使われます。ボタンとシャクヤクが同列に語られるほど、日本の文化の中でともに親しまれてきた花です。

ふたつは同じボタン科ボタン属に属しながら、性質が異なります。ボタン(Paeonia suffruticosa)は落葉低木で、冬も枝が地上に残ります。シャクヤク(Paeonia lactiflora)は多年草で、地上部は冬に枯れ、春に根から芽吹きます。中国では牡丹を「花王(花の王)」、芍薬を「花相(宰相の花)」と呼び、ともに最高の格をもつ花として扱ってきました。

花言葉

花言葉
赤・濃ピンク高貴、情熱
清廉、純潔
全般(中国)富貴・栄華・幸福
全般(西洋)恥じらい・思いやり・幸福な結婚・繁栄

ボタニカル・アストロロジーの記憶

カルペパーの分類では太陽(☉)

カルペパーの原典惑星表において、ピオニーはてんかんと子宮の健康に関わる薬草として「太陽」のもとに記されています。太陽の支配する植物は、生命力を強化し、脳と神経系の停滞を払うとされました。

一方で、また、現代の植物占星術(ボタニカル・アストロロジー)のなかには、牡丹を「月」のエネルギーと結びつける見方もあります。白く、湿潤を好み、女性の身体のリズムと深く関わる薬草という観点です。

太陽と月——光と水。どちらに属するかという問いは、この花の二面性そのものを映しています。熱と光で脳の霧を払う薬草でありながら、女性の身体の循環と深く結びついた植物でもある。カルペパーが太陽に置いたピオニーは、しかし月の記憶も静かに帯びています。


おわりに

神々の傷を癒やした医師が変じた花、権力の命令を拒んで洛陽の土に根を張った花、17世紀の薬草学者が星の力を見出した花——ピオニーという植物が蓄えてきた記憶は、いくつもの時代と地域を越えて、一本の根のようにつながっています。

「花王」という称号は、その美しさへの賛辞であるとともに、焼かれてもなお咲き続けた頑強さへの敬意でもあるのかもしれません。

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